
ケニアでは医療従事者の絶対数が需要に追いついておらず、2021年時点で約6万人の人材ギャップが存在すると推計されています。この数字は今後さらに拡大する見通しである一方、政府は看護師の海外就労をむしろ経済政策として推進するという一見逆説的な動きを見せています。医療教育・人材育成に関わる日本企業にとって、この需給ギャップと政府方針の両面を理解することは、ケニア市場での事業機会を見極めるうえで重要です。
医療専門誌PLOS Global Public Healthに掲載された、ケニアの医療労働市場を2021年から2035年にかけて分析した研究によると、現在の傾向が続いた場合、医療従事者数は年3.4%のペースで増加し、2021年の19万4,254人から2030年には26万3,676人に達する見込みです。しかし必要数は2021年時点で最低25万4,220人とされ、この年だけで約6万人の不足があったとみられます。研究は「このギャップは2021年の推計5万9,966人から2030年には11万4,352人、2035年には20万1,581人まで拡大しうる」としています。
国際NGOアムレフ・ヘルス・アフリカ(Amref Health Africa)も2025年8月の発表で、ケニアは現在、年間7,650人の新規医療従事者を輩出しているものの、必要数を満たすには7万人以上の追加が必要だと指摘しています。背景には人口増加率(2030年までに6,300万人超)に対し、医療人材の伸び(年3.4%)が需要の伸び(年4.7%)に追いついていないという構造的な乖離があります。同NGOは、医学教育の拡大や農村部勤務者へのインセンティブ導入を対策として挙げる一方、政府による予算削減方針が実現可能性への懸念材料になっているとも報じています。
人材不足と並行して進むのが、医療従事者の海外流出です。米外交問題評議会(CFR)系のオンラインメディアThink Global Healthの分析によると、ケニアでは医師・看護師が毎年約4,000人規模で国外に流出しており、保健省が2023年に実施した調査では医療専門家の64.4%が海外移住を希望していると回答しました。人口10万人当たりの医師密度は14人と、WHOが推奨する21.7人を下回っています。
ケニア政府はこの流れを止めるのではなく、英国・オーストリア・ドイツ・サウジアラビアなどとの労働協定というかたちで制度化する方向に動いています。英国との協定では2024年4月時点で280人の看護師が渡英し、さらに200人が渡航待ちの状態にあるとされます。2024年1月にはナイロビに米国・豪州・カナダの看護師資格試験を現地受験できるピアソン(Pearson)試験センターが開設され、海外就労を目指す人材の裾野を広げる基盤が整いつつあります。政府にとって医療人材の海外送り出しは、国内の雇用吸収力を超えた人材への出口を提供すると同時に、送金収入を得る手段としても位置づけられているとみられます。
この課題はケニア一国にとどまりません。WHOアフリカ地域事務局(WHO AFRO)は2024年5月、ナミビアで開催した保健人材投資フォーラムで「アフリカ保健人材投資憲章(Africa Health Workforce Investment Charter)」を発表しました。アフリカ地域全体で610万人規模とされる深刻な保健人材不足を、2030年までに半減させることを目標に掲げています。WHO AFROは、保健人材への投資は教育・雇用・ジェンダー平等など分野横断的な便益を生むとし、保健人材への1ドルの投資が最大9ドルのリターンを生み出すと試算しています。この憲章は各国政府に対し、政府主導の投資戦略、エビデンスに基づく優先順位付け、多セクター連携による投資動員などの原則を示すものであり、ケニアのような人材輸出と人材不足が同居する国にとっても、投資の方向性を定める参照枠組みとなりつつあります。
ケニアの医療人材市場が抱えるこうした構造は、日本企業にとって複数の切り口を示しています。
ケニアの医療人材問題は、単純な「不足」では語れない複雑な構造を持っています。人材の量的不足、海外流出、政府による人材輸出政策、そして地域全体での投資枠組みという複数の力学が同時に働いており、日本企業がこの分野で関わる際には、どの局面に価値を提供できるかを見極めることが求められます。